ついにやって来ました、我が家年末の一大イベント、餅つきの日が!
朝の5時半、まだ夜も明けぬ暗闇の中ドシン、ドシンと地響きをうならせてそれは始まるのであります。
はっきし言って、我が家の餅つきは一般的なイメージのぺったんぺったん、皆で楽しいな〜。なんて、のどかなもんじゃあ〜りませんよ。
もうそれはまさに戦場のような勢いで鬼気迫りながら行う、私にとっては一種の修行の場なのであります。
男3人での高速乱れうち!ペ^ペタペタ、ペッペッペッ、ペペペペペ....!
デカ杵での気合うちドッツーン、ドッツーン!
お供え餅こねまくり。コネコネコネコネ...!
そうしてやがて餅つきが終わる頃にはお昼になっているのでありまして、その数10臼。約80キロのもち米をのしまくってやったのです。
それでも最近は楽になってきたほうで、子供の頃はもっとつらかった気がするなぁ。その日が憂鬱だったもんね。
だからね、僕の中では餅つきって嫌な思いしかないのよね〜。
一度でいいからのんきな餅つきってのをやってみたいもんです。
でももし、僕がそんな場に行ったらきっと「何じゃ!そのへっぴり腰は!ちが〜う!杵ってのはこう打つんだ、貸してみろっ!」なんて言って結局は楽しくなくなっちゃうような気もするね(笑)。
ただ唯一良かったのは久しぶりに朝日をちゃんと拝めたことかな。
朝日に当たるってのは生き物にとってとっても大事らしいからね。
気功法(?)で内氣を高めながらケンシロウばりに「ぬおぉ〜〜!!」。と、やっていたので体力は何とか持ちました。
でも残る心配は筋肉痛です。
今年は何日後に来るのでしょうか?来年に来たりして。
てゆ〜か、こんなんでおっさん度を測ってる僕って...トホホです。
2004年も残りあとわずか、たった1日になってしまいました。いろんなことがあったけど何とか無事に1年間過ごせそうです。ありがたいことですなぁ。
今日は起きたら早速「そばぶち」に取り掛かる予定です。何とかおいしく出来るとよいのですが...。
その味はゼヒ村で確かめてみて下さいネ。
今年一年を締めくくるラストソングは何を唄おうかね?考えながら寝るとしますか。
慎ましやかに厳かにそして楽しく、新年を迎えられたらいいなと思います。
それでは皆さん、村で会いましょう!
おやすみなさいませ。 AM4:00
盛り上がったクリスマスも終わり、今夜の臨時営業も終わって、後は年末に向かい突っ走るわけですが、いや〜久しぶりにがっちり唄いましたね、この2日間。
まぁいつも歌ってはいるんですが、いいお客様が沢山来てくれたのでがんばっちゃいました。
楽しんでいただけたでしょうか?
ところで、クリスマスが終わっちゃうと、もうアッという間に年越しですなぁ。
あれだけ街を飾った電飾をいそいそと外す作業はなんだか寂しいもんです。
どうせなら1年中点けてて欲しいね。
この時期、僕はこの年末気分ってのが好きなんですけど、もうちょっと落ち着いて味わせて欲しいなと思いますね。
でもこのあわただしい感じがいいのかな?
それにしても、年をとるごとに1年が早すぎるっつ〜の!
こう思うようになったのは僕がおっさんになったからでしょうか?
そういえば最近、やたら感慨深くなっちゃったりして。
お茶もうまいし。
ヨウカン好きだし..。
イカンイカン、まだ今年は終わってないぜ。しみじみしてる場合じゃないよ。
こうなったら、2004年、最後の5日間を悔いの無いように完全燃焼だ!!突っ走るぜ〜!
...体力持つかな?
よく、一番好きなお酒は何って聞かれることがある。
それぞれいろんなお酒が好きなんで困っちゃうんだけどやっぱり、憧れはウイスキーにあるよね。
一口にウイスキーって言ってもその中にはスコッチ、バーボン、アイリッシュ、カナディアン、ジャパニーズと様々なんだけど(ちなみにこの5つが世界の五大ウイスキーといわれてます)、中でも真髄はスコッチの中のシングルモルトウイスキーかな?
普通一般に皆が飲んでるジョニ黒やホワイトホース、オールドパーやベルなんかはブレンデッドウイスキーって言って、シングルモルトとグレーンウイスキーってのを混ぜて造ってるのね。
シングルモルトウイスキーってのは文字どうり、スコットランドにある一箇所の蒸留所で大麦麦芽(モルト)のみを使い造ったウイスキーで生一本なお酒のこと。
こいつがホントに奥が深い!
スコットランドには全部で120近い蒸留所があるんだけど、それぞれにはっきりと個性があって飲んでて飽きないし面白い。
スペイサイドっていう土地で造ったウイスキーは、とっても芳醇で華やかな味が特色だし、またアイラっていう島で造るウイスキーは海草やピート香、消毒薬のような香りのするものまで様々だ。
それこそギターで言えばマーチンからギブソンまでってな感じ。(こういうと分かりやすいかな?)
僕はギターと同じでやっぱり癖のある味が好きみたい。
こいつを飲むときはねぇ、「水割り」なんてダサイことを言っちゃダメダメ。
ストレート、又は氷を入れない1対1の水割りのみだね。
複雑な香りを楽しむのが醍醐味のモルトにとって、香りを殺す氷はご法度なのだ。
いっぱしのバーに行ってモルトをロックで頼んだりすると断られたりすることがあるから気をつけよう。(ちなみに僕はそんなことは言いませんので(笑))。
こいつを一人、酒場で飲るんだ。
ハードボイルドを決めちゃってね。
話し相手なんか求めちゃいけないよ。
話し相手は手の中にある酒、こいつで十分。
長い年月を経て世に出た酒と、こいつを造った遠い国の無骨な男達に尊敬と敬意を贈ろう。
そして、懐かしい想い出やほろ苦い思いを、琥珀色の時と共に飲み干して、明日に立ち向かう為のキックを心に入れるんだ。
独りで酒を飲めない男とは友達になりたくない。
その代わり、家に帰るための最後の一杯を付き合ってくれと言われたら、喜んで付き合おう。
なぜならそれは、僕にだって必要なことだからだよ。
午前3時15分前
あんたと俺のほかには誰もいない
酒をつくってくれ、ジョー
面白い話を聞かせてやる
飲もうじゃないか
俺の話が終わるまでの間
酒をつくってくれ
一杯はあの娘のために
一杯は家へ帰る勇気をつけるために... 『One for My Baby』 より
う〜ん、マンダム..
僕はよく、無口だといわれる。
自分でも確かに、よくしゃべる人間ではないと思う。
人からは、何を考えてるのか、しゃべらないからよく分からないなどとも言われたりする。
思えば子供の頃はよくしゃべってた気がする。
僕はいつから無口な男になってしまったんだろう。
確かなのは、いつからか言葉の怖さを知ったからだ。
人はそのつもりはなくても嘘をつき、そのつもりはなくても、知らず知らずのうちに誰かを傷つけている。
それは、人の弱さゆえだろう。
不用意な人の言葉で散々傷ついてきた僕は、不用意な僕の言葉で、人をなるべく傷つけないように言葉を選んできた。
言葉を選ぶとね、頭で考えているそのうちに、言葉はあまり意味を持たないことに気がついてくる。
ところで、
僕はライブバーという仕事をはじめてから、いろんな人に会ってきた。
仕事柄、もっぱら話は聞き役に回ることが多い。
それはかえって僕にとっては好都合なことなのだが、ぺらぺらと言葉の軽い男の人は、見ていてあまり格好良く見えないのは不思議だ。
いや、そのおしゃべりが人を幸せな気持ちにするものなら素晴らしいのだが、
耳を傾けると、だいたいそういう人は、自分の話しに酔っているように聞こえる。
そして他愛も無い事ならよいが、けっこう一言多かったりして。
そしてその一言がどれだけ相手を傷つけたかがまるで分かっていない...。
「一句一句が辞世である」と言ったのは確か松尾芭蕉だったろうか。
とてもそこまでは出来ないが、一言一言の重みを心して発したいと僕は思う。
よくしゃべる人が、話し上手ではない。
話の価値は、言葉の量でもない。
沈黙以上に価値のある言葉はどれだけあるのだろうか。
沈黙以上に価値のある言葉は、どれだけあるのだろうか...。
最近、僕のJ-45の鳴りがイイ感じだ。
冬になると空気が乾いてくるのもあるのだろうが、ガツガツ鳴ってくれるので気持ちがよい。
44年も経つとギターもワガママになるもんで、ほんと日によって鳴りが変わるんです。
特にギブソンはそれが顕著な気がするなぁ。
マーチンとかと違ってギブソンのギターって、ガッツンガッツン弾いてやらないとすぐに鳴らなくなっちゃうのよ。何なんでしょうかねぇ。
でもやっぱり僕はなんだかんだ言ってもギブソンのギターが好きですな。
こうみえても、今まで結構沢山のアコギを手にしてきてね、それなりに一通り、いろんな音を知った
つもりだけどそれでも今、ギブソンを手にしてるってことは僕に合ってるんでしょうね。
若い頃は常に買っては売り、買っては売りで今思うと後悔するようなギターも持ってました。
ちょっと記憶の虫干しの意味で今まで所持してたギターを書いてみようかな..。
先ず、ギブソンではJ-50,J-200、マーチンでD-35,D-28,000-28、ギルドはD-55,オベーションでスーパーアダマス(茶)、アダマスU(青)、ヤマハはFG-180,FG-350、タカミネ2〜3本、スタッフォードSAD2000、ヤイリ90-RF、その他諸々..
と、まぁ今全部持ってたらすごいことになってるわな。なんとも不経済なことをしてきました。いや〜、トホホだね。
ギターに興味も無い人からすればアホかと思うんでしょうが、これが悲しきアコギ好きの性でございまして、欲望に限りは無いのであります。
ただ真面目に、僕の経験上言わせて貰えば、うまいとか下手とかに関係なく、ギターはイイやつを持った方がいいよ。よく「弘法筆を選ばず」なんて言うけどさ、僕はあまりそうは思わないんだよね。
下手くそだから安いのでいいなんて言わないで、いい道具を持ったからこそ、それに負けないように努力するほうがステキなんじゃないかと思うよ。(こりゃ、自己弁護みたいに聞こえるかな?)
と、まぁこんなとりとめもない事を書いてるうちに朝になっちゃったじゃない!
この話の続きはまた後ほどという事で、じゃぁ、恒例の今日の一言を最後に...。
「良工は先ずその刀を研ぐし、能書は必ず好筆を用う」(良い大工は先ず道具を大事にし、優れたお坊さんは必ず良い筆を使っている)と、いう意味。
それでは皆様、おやすみなさいませ。 合掌
最近は気まぐれ日記もしばらくお休みしてしまっていて申し訳ない!決してサボってたわけじゃないんですヨ。
ここのところ普段にもまして体調が悪くてね、何が悪いって、めまい、これがひどいんです。
お店にいるときもこの3週間ぐらいは常にクラクラしてました。
パソコンの画面を見てるのもつらくってね、日記も書けなかったんです。頭が痛くなっちゃって。
だからね、初めは眼科に行ってみたのよ。
そしたらナント、遠視になってるって言われてさ、なんだかよく分からないうちに眼鏡まで作らされちゃって。
視力のよさには自信があったのが、いきなりメガネ君デビューですよ。
それでも、これで目眩が治ればいいんだけれど一向に良くならないじゃない?
だんだん心配になってきてね、今度は行きつけの内科に行って相談したら、頭の写真を撮ることになって、9日にMRIを撮ってきました。
そして、その結果が出たのが今日!
ハラハラドキドキ、生きた心地のしない日々。もし何かあったらどうしようかと半分覚悟もしてましたが、結果はめでたく異常なし!
頭はとってもキレイでした。
いや〜、とりあえずホッとしましてね、生きてるってなんて素晴らしいんでしょう!
それで、目眩のほうはねぇ、なんだかよく分からないんだけど、そんなに心配は要らないって言われて。
ストレスとか疲れとかそういうものから来てるんだろうって。お薬を貰って帰って来ました。
でも、ホントに大変なことにならなくて良かったよ〜。改めて健康が何より大切なことだと感じました。(特に僕は虚弱なもので..)
そんな訳で、明日っからはまた心機一転でがんばります!(ご心配おかけしました)
どうぞ皆様もこれからの忘年会シーズン、体調管理にはくれぐれも気をつけてください
ね〜!
今日は僕の家の後ろにある竹山の木を切ったよ。
写真も撮ってもらったので見てみてね。
木の枝卸をしたんだけど、まあ、木になんか登ったのは何年ぶりだろうかってな感じで、ちょっと懐かしい気分になりました。
その後に、切った木を燃やして焚き火をしたんだけど、これまた懐かしくおイモなどをくべてみまして焼きイモまで作っちゃった!
焚き火で焼きイモなんていまどきの子供は経験も出来ないよね。我ながらなんてオツなんでしょ、って思ったりして。
ほんでまた、このイモがよく出来ましてホクホクでした。
いつも思うんだけど、焚き火ってゆうのは、なんだか人間の童心をくすぐりますよね。
親父なんかも焚き火をしだすとやけに張り切りだしちゃって「おぉ、イモ焼けた!焼けた!」なんて喜んじゃったりして。
肌寒い冬の夕暮れに焚き火で赤くなったほっぺたと、甘く焼けたおイモのにおいがプ〜
ンと漂って、なんだかやけにノスタルジックな気分になった一日でした。
とっても季節はずれのポカポカ陽気に誘われて、散歩などしてきました。
陽の光に当たらないとイカンと思ってね。
帰ったら、母ちゃんに、親父がそばを打つから手伝ってやってくれと言われた。
体調も悪いのになぁ、昼寝でもしたいなぁ。
なんてぶつぶつ思いながら、家の後ろのそばを打つ小屋に行くと、親父はすでに一枚目を打ち終わる頃。
体を壊し、目もよく見えなくなった親父には今やそばも一枚打つのがやっとのようだ。
2枚目を僕が打つことになった。
ちなみにそばは「うつ」じゃなくて、「ぶつ」と言います。
そんなことはいいとして、僕もそばぶちに取り掛かる。
コネコネ。シュッシュッ。パタン。シュッシュッ...。
まだそばぶちを教わってから、そんなに数はこなしてないが、我ながら少しはサマになってきた様に思ったりする。
シュッシュッ、パタン、シュッシュッ...。
そんな折、時々僕に打ち方を教えながら見ていた親父が、そばで洗いものをしていた母ちゃんに向かってうれしそうに言った。
「かあちゃん、そばぶちのライバルが出来たぞ」
僕は何も言わず、そばを打ち続けていた。
生まれてこの方、僕は親父に褒められたという記憶が無い。
これはもしかして俺を褒めてんのか?と、思ったら急にいたたまれなくなった。
いつか思い出すだろうか、今日のことを。
一生忘れられない言葉を聞いた気がする。
いや〜、松本君、いい人でしたねえ。
すごく好感の持てる人柄で、なんだか初めて会ったような気がしない人でした。
『空白』ってゆう本を読んでたからよけいにいろいろと感じるものがありましたよ。「あぁ、この人があの凄まじい人生を歩んできた人なんだな」って思いながら歌を聴いていました。
よく、過去を売り物にするって言葉を聞くけど、まぁ確かに僕の周りにもそういうタイプはいますね。昔はどうだったとか、酔っ払うと過去の自慢ばかりに浸る人、過去に縋りながら生きてるってゆーの?「しらないよ、そんなの」って思っちゃう。今はどうなんだいってね。
意外とそんな話ばっかりする人に限って、中途半パに生きてるやつが多いって知ってるしね。
でもね、今回の松本君に関してはそうは思えなかったですよ。苦労してきた過去のレベルが違いすぎるっていうのもあるんだけど(物心ついた頃から命のやり取りを経験してる人ってどれくらいいます?)
あまりにも自分の中のイメージと違ったってゆうのかな?過去を洗いざらい清算した男ってのはこんなにもすがすがしいもんなのかなって思って、ホント気さくによく笑ってたしね。
たいがい背負ってきた過去ってどっかに出るじゃない?昔ヤクザだったって人が足を洗ったって、どっかにその面影は漂ってたりするもんですよ。
それがねぇ、松本君に関してはまったく無かったね。
そんな人は僕は初めて会ったかな?
これだけ完璧に自分の中の「負」を「正」に昇華できる人はそうはいないんじゃないかな?(実際には数時間一緒に過ごしただけですから、ホントのところは分からないですけどネ)
ただ、マジメに、人と会う時は構えてしまうタイプの僕がすんなり打ち解けちゃったのは松本君の魅力でしょうね。あの屈託の無い笑顔は忘れられません。熱烈なファンが多いのもうなづけます。
もっといろんな話をしたかった。また是非会いましょう、そう言って別れ際、固く握手をして別れた夜でした。
アディオス!松本君!