唐突ですが、皆様は「混ぜるな危険!」と書いてある洗剤を混ぜてみたことはありますか?
厳密にいうと塩素系と酸性の洗剤ですな。
僕は混ぜてみました(笑)。
っていうか、たまたま風呂を洗う時に、違う系の洗剤を一緒に使ってしまったのですが...
まぁ〜あれほどとは思いませんでしたよ!
毒ガスです!毒ガス!!
「VX」・「マスタード」・「タブン」・「ソマン」・「サリン」・「カビとりハイターストロング」 って感じです。
何やら鼻をつく臭いがしたと思ったら、急激に胸がつまり、吐き気を催すほどでした。
あわてて外へ出て深呼吸するんですが、その成分が鼻に残ってるのか息を吸えば吸うほど気持ち悪くなっちゃって。
ホント、冗談抜きに死ぬかと思いましたね。
「洗剤を混ぜちゃって死んだ俺の人生って...。」って、まる子風のナレーションが聞こえてきましたもん。
昔、ダースまさし(親父)が風呂を掃除した時、閉め切った風呂場で洗剤を混ぜて洗ったもんだから死にかけた時がありましたけど、それからしばらく親父は寝込んでましたもんね。
僕的には大笑いって感じだったんですが、まさか自分が死にかけてしまうとは...しょせん「カエルの子はカエル」ということでしょうか。
親子揃ってバカ丸出しですね。
そんなわけで、皆さんもコレを読んで「どんな感じかな?」な〜んてくれぐれもまねをしないようにネ。(するわけねぇっつーの)
教訓:慣れない事はするもんじゃ〜ない。
昔、僕はリサイクルショップでバイトしていたことがあった。
古本やCDの買い取りとかして、まぁ今でいう「BOOKoff」のはしりみたいなもんだ。
その当時、お店の有線からたびたび流れてくる気になる歌があった。
パワフルな、それでいて擦れたボーカル。ストレートに心を打つメロディ。
シンプルで歌詞に力のあるその楽曲は、僕の心を捕らえて離さなかった。
「左手を上げて 右手を上げて 参りましたと空を仰いだら 報われなくても 褒められなくても 何かを掴むまであきらめるな」 「遠景」より
「Hamlet Days 愛すべきか否か 憎むべきか否か 忘れるべきか否か 恐れるべきか否か
Hamlet Days でも幕が降りてしまうまで 答えなど出せないよ
Hamlet Days 最後の矢が突き刺さるまで 俺は俺を見つめてく」 「Hamlet Days」より
どうしても気になって仕方がなかったので有線に電話して問い合わせてみた。すると初めて聞く名前が返ってきた。
「中村隆道という人で、曲名はハムレットディズですね。」
その日の内に僕はレコードショップに走りCDを探した。
あった!
2枚のアルバムを買い、さっそく車のオーディオに放り込む。有線で聴いていた2曲「遠景」と「Hamlet Days」両方があった。
僕が歌いたい事、僕が憧れる声、僕が求めるものを彼は見事に表現していてくれた。
人生でそう何度もない出会い。
その日が僕と「中村隆道」との出会いだった。
その後、「アクセル」というテレビの音楽番組にレギュラー出演していることを知り毎週見るようになった。
渋谷の「エッグマン」にてワンマンライブをやることを知り何度も観に行った。
柄にもなくライブの出待ちをして、握手をしてもらった。
1ファンとして顔を覚えられたかどうか?というぐらいになった頃、偶然にもNEWマキシシングルの発売に伴うインストアライブで宇都宮にはじめて来る事になった。
そのイベントにも足を運び、運よく僕の名詞を渡すことに成功した!
ライブバーをやっているという僕の話に興味をもってくれた感じで「今度遊びに行くよ!」と言ってくれた。
それだけで僕は大満足。
新星堂でのイベントも終わり、フォーク村に戻ってしばし放心状態。
さて、そろそろ帰ろうかと言った頃、突然電話が鳴った。
電話に出てみると、驚いたことに隆道のマネージャーさんからだった。
「今日の予定が急遽キャンセルになってしまって、もしそちらのお店がやっているようでしたら行ってみたいと本人が言っているんですが...。」
それからのその夜の僕は終始放心状態。
憧れの歌手が自分の店に来てくれるなんて。
プライベートの彼は気さくで優しい人だった。
「こんな店が家の近所にあったら俺だったら毎日通っちゃうよ」と言って笑っていた。
恥ずかしながら僕も自分の唄を歌わせてもらい、下手くそな唄にも真剣に耳を傾けてくれていた。
まさに夢のような夜だった...。
その後の僕と隆道さんのつながりは知っている人も多いと思う。
3周年のフォーク村コンサートへの特別参加。
僕の江古田マーキーでのライブ出演のきっかけを作ってくれたこと。
新潟中越地震チャリティーライブへのオープニング出演以来。庄野真代さん始めすばらしいアーティストの方々と同じステージに立たせてくれたこと。
お世話になったことは他にも数多く、僕の音楽人生にとっても最も影響を与えてくれた人であることは間違いない。
その彼がもうすぐ宇都宮へやって来る。
そう、我がフォーク村でワンマンライブを演るために、だ。
ココまでこれた。多くの人に感謝。多くの「縁」に感謝。そして隆道さんに感謝。
あの夢のような夜が、もうすぐやって来る。
最後に。
隆道さんが今までの音楽人生でたった一度だけ歌った、最も大切な唄、「詩の擁護」。
この唄は全部歌うと12分ほどかかる、彼の唄への思いを込めた大作である。
彼が尊敬する詩人、シェリーの書いた「詩の擁護」という作品ににインスパイアされて書いた歌だという。
シェリーが生きていた時代、詩人なんてものは世の中にとって何の役にも立たない。とゆうような風潮があった。
それに対してシェリーが毅然と反論した文章で、すごく簡単に言ってしまえば、詩人賛歌。詩人達への応援歌のようなものだ。
あまりに大切な唄ゆえライブでは1度歌われたきりでその後は封印されている唄である。
その歌の歌詞のほんの1部分を紹介させていただきたい。
海を越え大地を超え 人々の胸を伝い
彼の地の詩人の叫びが今も 息づくように
僕たちは信じている 僕らのこの歌声が
いつの日か誰かの心の中に 詩をつれてくる
歌は一人じゃ歌えない 一人じゃないから歌がある
人を愛することが歌ならば 誰もが名もなき歌人さ
だから僕達は歌うんだ 心に響く言葉で
いつまでも歌い続けてゆく
あなたを愛し続けてゆくように
あなたを愛し続けてゆくように
最近の若者はウイスキーをあまり飲まないんだって。
なるほど。
僕なりに少し考えてみた。
簡単に言っちゃうと、今の若者にはウイスキーに対する「憧れ」が無いような気がする。
僕らの世代ぐらいまでは子供の頃、どの家庭に行ってもウイスキーはありがたく戸棚に「鎮座」されていたもんだ。
スコッチなんて一般庶民には到底普段飲みできる酒じゃなかった。
海外旅行に行ったときに免税店で買ってくるぐらいで。
普段飲んでるのは「RED」や「トリス」、少々良くて「ダルマ」ぐらいなもんだった。
そんな親父たちを見ていたから、子供心に「スコッチってスゴイお酒なんだなぁ」っていう感覚が無意識に刷り込まれていたんじゃないかな。
そしてこうも思った。「大人になったら俺もスコッチを飲めるようにがんばるぞ!」と。
時代が変わり、酒税法やら何やらで今やスコッチといえども庶民の酒になりさがり。
町のディスカウントショップに行けば免税店よりも安く買える状況だ。
あの頃の親父たちが「ジョニ黒」と敬愛をもって呼び、憧れたスコッチが今では1900円ほどで買えてしまう。
(スコッチの名誉の為にも言うが、今のジョニ黒と昔(例えば「特級」表示されている)ジョニ黒とは別物だ。今のジョニ黒を飲んで「え〜こんなの有難がって飲んでたの?と思わないでほしい。当時のジョニ黒は今のスコッチの2万円クラス、いや、それ以上の味だったろう。その理由は色々あるが、長くなるのでまた次の機会に)
そんな手頃で安い酒になってしまったスコッチやバーボンに今の若者が憧れを抱くようになるのは難しいかもしれない。
ましてや世界的な「ライト化」志向の波の中でハードリカーたちはどんどん肩身が狭くなるばかり。
男たちも昔に比べればずいぶん軟弱になった。
今の男の子達は女の子とお酒を飲む席でも平気で「カルーアミルク!」や「ストロベリーソーダ!」などと注文してくる。
一度聞いたことがあるが、それは少しも「恥ずかしくない」ことらしい。
(おそらく僕がおっさんになったんだね。僕らには女の子とのデートで「カルーアミルク」などと頼むことは「カッコワルイ」こととして映る(ギリギリの)世代なんだな。(笑))
「カッコイイ」男になりたかった僕たちは精一杯背伸びしてスコッチやバーボンを飲んだ。
カウンターに独り座ってウイスキーを飲ることで、一人前の男になれたような気がした。
僕たちが憧れたあの頃の親父たちのように...。
言葉は悪くなるが「女、子供にはわからない」酒がウイスキーだったし、それでよかった。
本来BARというところはそういう場所でもあり、ハードボイルドな男たちの「聖域」こそがBARという空間だったんだ。
でも、今や女性が強くなり、立派に自立されている方も多いからね、そういった考えは時代にそぐわないことも承知している。
(かっこいい女性が増えた反面、男たちよもっとがんばれ〜!とも言いたくなりますが(笑))
うれしいことに最近はシングルモルトなどが一般にも徐々に浸透してきて、若者にも興味を持つ人が増えているという話を耳にする。
「本物」を知るということはすごくイイことだ。
日本の若者の酒文化レベルの低さは世界的に見ても恥ずかしいとよく言われているが、昨今の本格焼酎ブームと相まってだんだんと酒文化レベルの向上に繋がれば、こんなうれしいことはない。
芋焼酎ファンの皆様、こだわりの限定激レア焼酎が入荷しましたヨヨヨ〜〜ン!!
その名も
古式有機原酒 『なゝこ』
ちゃんでーす♪
焼酎蔵濱田屋伝兵衛の杜氏たちが「こんな焼酎を誕生させたい」と、その知恵と経験とこだわりの全てを結集させて育て上げた幻の焼酎。
超高級焼酎(定価1万円)としてテレビや雑誌でも話題になったこともあったので知ってる人もいるんじゃないかな?
「なゝこ」の名前の由来は「七つの古」からきてるんだけれども、まぁ、そのこだわりがすごいんですよ。
一、現存する日本最古の種黄麹 アスペルギウス・オリゼー使用
二、現存する初代分離酵母 サッカロマイセス・サケ使用
三、有機米.有機芋使用(有機認証蔵)
四、いにしえの霊峰「冠岳」の伏流水を使用
五、伝承の蔵造り 伝兵衛杜氏による手造り
六、年代甕(カメ)によるカメ仕込み、カメ貯蔵
七、復元した杉木桶樽による蒸留 木桶蒸留
どーです?何やら小難しそうですけどすごそうでしょ?すごいんです!
お味の方も「とにかく旨い!」と焼酎好きにかなりの評判らしいですゾ。
限定生産なのに加えて、予約注文でほぼ売切れてしまうので一般にはお目にかかることはまず無いと思います。
ちなみに蔵の社長はこんなコメントを寄せてました...
「...昨年来「なゝこ」を手がけることによって思い知らされたことがあります。それは、我々が“自然環境”というものを如何に蔑ろにしてきたかということ。僅か100年前の造りを再現するのに、どれほどの労力と努力と経費を費やすことになったか…。
当時は普通に造れば全て、今で言う「有機原料」「天然水」「手造り」なのです。
「なゝこ」の造りは、現代人が失った物の大きさを改めて教えてくれた気がします」 と。
う〜ん、意味深いですなぁ。
当たり前のものを当たり前に造る。
今やそれすらも出来なくなった時代なんですね。
そんな当たり前の「本物」の焼酎を、ゼヒこの機会に村で味わってみては如何でしょうか?
焼酎の旨〜い季節にもなってきたしネ♪
今日、ドリフやってたね。
特番で20年ぶりの生コントをやってた。
小学3年になる兄貴の子供が家に来てて、一緒にテレビ見てたんだけど、
ま〜うけるのナンノ。
「ぎゃははは!」と大爆笑。笑い転げててあまりのうけっぷりに見てるこっちも可笑しくなっちゃった。
ココまで爆笑してるのもあんま見ないなぁと思いつつ、あらためてドリフの偉大さを再確認。
今はこんなストレートなお笑い番組って無いよね。
変に理屈をこねくり回したような笑いばっかりで、子供たちが素直に大笑いできる番組が無い。
だから子供たちがどんどん理屈っぽくなっちゃうんじゃないの?
もっとシンプルでいいんだって。「うんこちんちん」で大笑いしてる子供のがかわいいよ。
そう考えるとさ、俺たちの子供の頃は幸せだったなぁって。
何も考えずに大笑いできる番組がいっぱいあった気がする。
メシ食いながら兄弟で大笑いして転げてた。
子供の頃の話だけど、ある夜、いつものように親父が怒って怒鳴り散らしててさ。
晩飯時の我が家はピリピリとして、静まり返っちゃって。
でも何だかテレビではドリフをやってたんだよね。
俺は怒られながらも横目でテレビをちらちら見てた。
そしたらコントの中で「恐怖の5秒間」ってやってて。
会場に大きなスクリーンが降りてきてD、C、B、A、@..ってきた。
どうなるんかと思ったら、最後に加トちゃんの「アイーン」って顔がアップでドーンって。
ただそれだけなんだけど、
「...ブッ!ギャハハハッ!!」って、その瞬間こらえてた笑いが大爆発。
あまりの俺の笑いっぷりに張り詰めていた家族もビックリして。
でも何だか急に和んじゃってさ。「しょうがないねぇ」見たいな感じで...。
幼い頃のほんの一場面の記憶なんだけど、なぜかその場面だけは今でも鮮明に覚えてるんだよね。
いや〜ホント、ドリフは偉大でしたよ。
子供は笑ってなくちゃダメだ。
コロコロと笑い転げて育たなければ。
俺たちは笑い転げて育った。
さほど娯楽が無かった分、思いっきり笑った。
情報化社会なんかじゃなかったから、みんな同じものを見て真っ直ぐに笑った。
ドリフ、さんま、たけし...。あの時代と共にみんな俺の中に居る。
今、腹の底から笑うことなんて無くなってしまったけれど、
今夜はほんの少しあの頃に戻れたような気がした。
「ドリフターズ」に感謝。
またDVDが売れるんだろうなぁ。