命日に寄せて

今日は尾崎豊さんの13回忌です。(享年26歳)


今日の村はヒマヒマだったので、
しかも今日は私一人っきりだったので、
「尾崎豊一人追悼ライブ」を文字どうり一人ぼっちで演ってました。

心ゆくまで彼の唄を歌っては、ぼ〜っと物思いにふけってました。

先日、BSにて尾崎豊の特番やってましたね。(観ましたか?)
ほとんどが未発表曲だったので、ファンの方にはたまらない内容だったんじゃないでしょうか?
中でも、88年の東京ドームでの「シェリー」と「僕が僕であるために」 は圧巻でしたね。ちょっとすごすぎる。

覚醒剤で逮捕された後の“復活コンサート”と銘打たれたコンサートでしたが、当時は賛否両論、評価は低かったんですよね。
なぜなら、10代最後の、特に伝説となった、85年の代々木オリンピックプールでのコンサートに比べると、確かに声も出ていないし、ステージを駆け回る体力も無い。(覚せい剤による体力低下と思われる。)

後の91年の「BIRTH TOUR」において、彼は見事に復活を成し遂げるんですが(翌年に他界)、ちょうど彼が最も苦しんでいた時期だけに、見ていてあまりに痛々しい。
痛々しいのだが、無性に心が震える。胸に響く。
それは彼がまさに魂を削り取りながら、命を賭けて唄っているからに違いない。(コレは少しも大げさじゃなく、事実「BIRTH TOUR」に於いてもツアー中に過労で救急車で運ばれたり、アンコールの前にトイレで吐きまくってたり、精神的にも肉体的にも苦しみながらツアーを行っていた記録が残されている。)

これほど唄に全身全霊を賭けるアーティストが今までいただろうか?
いまどきのどんなアーティストの歌を聞いても、尾崎の歌と聞き比べると「霞む」。かすむのだ。
どんなに歌がうまかろうが、安っぽく聞こえてしまう。それほど尾崎豊の唄には重さがある。
(もちろん歌うたいにもいろんなタイプがあっていいんです。ただ僕も歌うたいのはしくれとして、彼の姿勢を少しでも見習いたい。と、思う一人)

つくづく惜しいアーティストを失くしたと思います。
彼が生きていたら今年で39歳。
どんな唄を歌っているんだろうか?
今の日本のミュージックシーンをどう思うだろうか?
韓国で「I LOVE YOU」がカヴァーされ大ヒットしたこととか聞いて笑ってるかな?

「10代の教祖」、「反逆のカリスマ」、「最後の天才」 と持てはやされながらも、その実は猜疑心の塊で音楽業界からもつまはじきにされていた尾崎豊。

世話になったプロデューサーとも縁を切り、マネージャーを次々にクビにして誰一人信用しなかった尾崎豊。

自分自らが社長となり設立した個人事務所も身内で固め、晩年はお母さんと二人きりで運営していた尾崎豊。

その最愛のお母さんが急逝してしまった後の彼は荒れに荒れていたという。

その半年後に彼は、千住の民家の軒先で泥だらけで倒れているのを発見される。

朦朧とした意識の中で彼が最後にこの世に残した言葉は、「勝てるかな」 だった。

誰と戦っていたんだろうか? 何を見ていたんだろうか? 今となっては知る由も無い。

もう二度とこんなアーティストは出てこないんだろうな...。


後に、尾崎が最も尊敬していたアーティストの一人、浜田省吾氏が彼のことをこう語っています。

「....音楽って、音が楽しいって書くよね。基本的に音楽は楽しくなければならない。ギターの音が鳴った瞬間、ピアノの最初の音が聞こえた瞬間、ドラムのスティックがカウントを刻むその瞬間、全てを忘れてのめりこんでしまう。なにものにも変えがたい楽しみ。どんな苦しいことがあっても音楽をやっていて良かったと...。それがないとダメだよ。(略)
尾崎君は音楽の楽しみを知っていただろうか。音が楽しいということをわかっていただろうか。
彼はいい詩を書いたし、いい曲も書いた。素晴らしいアーティストだったと思う。でも、尾崎君は音の楽しさがわかっていたのだろうか。
本人のメッセージは伝わってきたけど、彼が音楽を楽しんでいたようには、僕にはどうしても見えなかった。
会って話をしたかった。そして、音が楽しいということを伝えてあげたかった。」      
{尾崎豊 愛すべきものすべてに}鬼頭明嗣・著 竹書房 より引用

 

     改めて尾崎豊さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 合掌

2005/04/26(Mon) 04:28:28 | 日記
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JOE
シンガーソングマスターやってます

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