もうすぐ松本哲也LIVE♪つづき!
前回からの「松本哲也紹介」つづきだよ♪
6、報われない日々
東京に戻り焼肉店で働きながら、音楽活動を続ける毎日。
この頃には中学時代の同級生であるB子と交際していた。
中学時代から思い続けてくれたB子が心の支えとなり、充実した日々をすごしていた。
焼肉店では店長を任されるようになり仕事はどんどん忙しく、音楽に打ち込める時間がなくなっていた。そんな折、経営方針について社長と喧嘩。店を辞めることになってしまう。
B子と同居を始め、時間が自由になる日給制のアルバイトをしながら、音楽に集中出来る生活に変えた。
だが、なかなか納得のいく作品も作れず、苛立ち、才能がないのではないかと苦悩していた。
その頃、ミニチュア・ダックスフンドのジョンを飼いはじめた。
「ジョンは僕の下手くそなギターと歌をじっと黙って聞いてくれ、僕の気持ちを癒してくれた」
7、カエルの子はカエル
ある日、岩手の伯父から連絡が入る。
母が火事を起こしてアパートを全焼させた。という、ショッキングな内容だった。
母は火事でひどいショックを受け精神病が悪化してしまい、突然泣き出したり、笑い出したり、会話も出来ない。何を言っても反応がない母を見て、もう終わったと思った。
精神病院へ強制入院させ、東京へ戻ると、B子から別れを告げられた。
音楽も、仕事も、恋愛もうまくいかず、絶望のどん底にいた彼は水沢に帰った。
地元では過去の栄光がまだ通用し、昔の友達とまたつるむようになった。そして、傷害事件を起こし、警察に逮捕された。
8、諦めきれないミュージシャンへの道。
裁判は成人してから初犯ということもあり、罰金刑で済んだ彼は、病院から退院してきた母と落ち着いた生活を送っていた。
ある日、父が突然現れ、「チンピラをやってるなら跡目を継がせてやるから極道修行をしろ」と言ってきた。
束の間の家族の団欒を味わっていた矢先、父が胃潰瘍で入院した。
「哲也に父親らしいことをしてこなかったから、バチがあたったんだな」
と弱気なことばかり言う父を看病していくうちに、しだいに心が傾いていった。
<傷害事件などでもう汚れた人生だ、ミュージシャンなんて夢も絶対無理だ>
ヤクザになることを決意した彼は報告のためにB子に連絡すると、彼女はジョンを胸に抱いて東京から説得をするためにやってきた。
だが、哲也の意志は固く、B子の説得も受け入れることは出来なかった。
仙台へ引っ越す前夜、ジョンが突然いなくなり、二人は雪跡に残ったジョンの足跡をたどりながら、必死になって探した。
すると、国道4号線のの上で無残なジョンの姿を見つけて、彼らが国道4号線を走っているときに、何かに乗り上げた感じがあったのを思い出した。
ジョンをひき殺したのは彼らが乗っていた車だったことに気付き、血の気が引いた。
ジョンとの思い出が次から次へと思い浮かび、涙が止まらなかった。
<ジョンは命がけで、おれを迎えに来てくれたんだ。ヤクザなんかになるんじゃない。ずっと胸にしまってある音楽への夢を思い出せと...>
その時、ようやく目が覚めた。
8、メジャーデビュー
もう一度ミュージシャンを夢見て、東京に戻った。
そして、ストリートライブを始め、TBSラジオ主催の「ストリートミュージシャン・コンテスト」に出場し、優勝を勝ち取った。
そして、その後事務所とアーティスト契約を結び、メジャーデビューを果たした。
この頃、父が事件を起こし刑務所に入ったため、母は一人で水沢で暮らしていた。
母はデビューしたことをとても喜んでくれた。また、堀江先生も岩手でのコンサートに駆けつけてくれてデビューを喜んでくれた。
9、母の死
デビューから2年後、音楽活動を軌道に乗せなければと必死になっていた時に、母の死の知らせを受けた。
死因は拒食症による衰弱死だった。
アパートで一人暮らしをしたいた為、発見されたときには死後6日が経過していた。
葬儀場に着き、お棺の中の母の顔を覗き込んだ。
母の顔はしわくちゃになっていて、おばあちゃんのようだった。
火葬が済み、母が白く細い骨に変わり、それを見た瞬間、幼い頃を思い出した。
いつも心の奥にあった母との空白の日々、満たされることのなかった心の大きな空白を埋めることはもう出来ないのだと覚悟した。悲しみで頭がいっぱいになり、葬儀の翌日のライブはボロボロだった。
そして、歌うことがどんどん出来なくなっていった。
10、母へ
母さん、もし生まれ変わったら、今度は僕の子供になりなよ。
僕がしっかり抱きしめてあげるから。
きっと母さんも寂しかったんだよね。母親である前に一人の女だったんだよね。僕はもう恨んでなんかいないから、安心してください。この空白とともに、母さんを一生忘れない。天国で見守っていてください。(母への手紙より)
11、堀江先生との別れ
「音楽夢クラブ」と言う事務所を主催し、さまざまな音楽活動を続けていた教護院時代の恩師・堀江先生は、彼の音楽活動を熱心に進めてくれた。
岩手県民会館でのコンサートの実現、地元の放送局や新聞社への援助以来など彼のために一生懸命に頑張ってくれた。そのおかげで、コンサートは大成功に終わった。
しかし、その日を境に先生は大きく体調を崩した。
先生が、がんであることを、先生の息子さんから教えてもらい、先生がどうしても県民会館でのコンサートを諦めなかった理由が分かった気がした。
<先生はきっと音楽の力を最後まで信じているんだ。音楽こそが人生の苦しみを癒してくれるんだと、信じているんだ。>
そして、コンサートから一ヵ月後堀江先生は亡くなった。
悲しいけれど悲しんじゃいけない。先生に心から感謝し、唄い続け、音楽を通して人のために生きていきますと、心の中で先生に話しかけていた。
「空白」松本哲也・著 より、あらすじ抜粋させていただきました。
松本哲也 公式HPはコチラ
6、報われない日々
東京に戻り焼肉店で働きながら、音楽活動を続ける毎日。
この頃には中学時代の同級生であるB子と交際していた。
中学時代から思い続けてくれたB子が心の支えとなり、充実した日々をすごしていた。
焼肉店では店長を任されるようになり仕事はどんどん忙しく、音楽に打ち込める時間がなくなっていた。そんな折、経営方針について社長と喧嘩。店を辞めることになってしまう。
B子と同居を始め、時間が自由になる日給制のアルバイトをしながら、音楽に集中出来る生活に変えた。
だが、なかなか納得のいく作品も作れず、苛立ち、才能がないのではないかと苦悩していた。
その頃、ミニチュア・ダックスフンドのジョンを飼いはじめた。
「ジョンは僕の下手くそなギターと歌をじっと黙って聞いてくれ、僕の気持ちを癒してくれた」
7、カエルの子はカエル
ある日、岩手の伯父から連絡が入る。
母が火事を起こしてアパートを全焼させた。という、ショッキングな内容だった。
母は火事でひどいショックを受け精神病が悪化してしまい、突然泣き出したり、笑い出したり、会話も出来ない。何を言っても反応がない母を見て、もう終わったと思った。
精神病院へ強制入院させ、東京へ戻ると、B子から別れを告げられた。
音楽も、仕事も、恋愛もうまくいかず、絶望のどん底にいた彼は水沢に帰った。
地元では過去の栄光がまだ通用し、昔の友達とまたつるむようになった。そして、傷害事件を起こし、警察に逮捕された。
8、諦めきれないミュージシャンへの道。
裁判は成人してから初犯ということもあり、罰金刑で済んだ彼は、病院から退院してきた母と落ち着いた生活を送っていた。
ある日、父が突然現れ、「チンピラをやってるなら跡目を継がせてやるから極道修行をしろ」と言ってきた。
束の間の家族の団欒を味わっていた矢先、父が胃潰瘍で入院した。
「哲也に父親らしいことをしてこなかったから、バチがあたったんだな」
と弱気なことばかり言う父を看病していくうちに、しだいに心が傾いていった。
<傷害事件などでもう汚れた人生だ、ミュージシャンなんて夢も絶対無理だ>
ヤクザになることを決意した彼は報告のためにB子に連絡すると、彼女はジョンを胸に抱いて東京から説得をするためにやってきた。
だが、哲也の意志は固く、B子の説得も受け入れることは出来なかった。
仙台へ引っ越す前夜、ジョンが突然いなくなり、二人は雪跡に残ったジョンの足跡をたどりながら、必死になって探した。
すると、国道4号線のの上で無残なジョンの姿を見つけて、彼らが国道4号線を走っているときに、何かに乗り上げた感じがあったのを思い出した。
ジョンをひき殺したのは彼らが乗っていた車だったことに気付き、血の気が引いた。
ジョンとの思い出が次から次へと思い浮かび、涙が止まらなかった。
<ジョンは命がけで、おれを迎えに来てくれたんだ。ヤクザなんかになるんじゃない。ずっと胸にしまってある音楽への夢を思い出せと...>
その時、ようやく目が覚めた。
8、メジャーデビュー
もう一度ミュージシャンを夢見て、東京に戻った。
そして、ストリートライブを始め、TBSラジオ主催の「ストリートミュージシャン・コンテスト」に出場し、優勝を勝ち取った。
そして、その後事務所とアーティスト契約を結び、メジャーデビューを果たした。
この頃、父が事件を起こし刑務所に入ったため、母は一人で水沢で暮らしていた。
母はデビューしたことをとても喜んでくれた。また、堀江先生も岩手でのコンサートに駆けつけてくれてデビューを喜んでくれた。
9、母の死
デビューから2年後、音楽活動を軌道に乗せなければと必死になっていた時に、母の死の知らせを受けた。
死因は拒食症による衰弱死だった。
アパートで一人暮らしをしたいた為、発見されたときには死後6日が経過していた。
葬儀場に着き、お棺の中の母の顔を覗き込んだ。
母の顔はしわくちゃになっていて、おばあちゃんのようだった。
火葬が済み、母が白く細い骨に変わり、それを見た瞬間、幼い頃を思い出した。
いつも心の奥にあった母との空白の日々、満たされることのなかった心の大きな空白を埋めることはもう出来ないのだと覚悟した。悲しみで頭がいっぱいになり、葬儀の翌日のライブはボロボロだった。
そして、歌うことがどんどん出来なくなっていった。
10、母へ
母さん、もし生まれ変わったら、今度は僕の子供になりなよ。
僕がしっかり抱きしめてあげるから。
きっと母さんも寂しかったんだよね。母親である前に一人の女だったんだよね。僕はもう恨んでなんかいないから、安心してください。この空白とともに、母さんを一生忘れない。天国で見守っていてください。(母への手紙より)
11、堀江先生との別れ
「音楽夢クラブ」と言う事務所を主催し、さまざまな音楽活動を続けていた教護院時代の恩師・堀江先生は、彼の音楽活動を熱心に進めてくれた。
岩手県民会館でのコンサートの実現、地元の放送局や新聞社への援助以来など彼のために一生懸命に頑張ってくれた。そのおかげで、コンサートは大成功に終わった。
しかし、その日を境に先生は大きく体調を崩した。
先生が、がんであることを、先生の息子さんから教えてもらい、先生がどうしても県民会館でのコンサートを諦めなかった理由が分かった気がした。
<先生はきっと音楽の力を最後まで信じているんだ。音楽こそが人生の苦しみを癒してくれるんだと、信じているんだ。>
そして、コンサートから一ヵ月後堀江先生は亡くなった。
悲しいけれど悲しんじゃいけない。先生に心から感謝し、唄い続け、音楽を通して人のために生きていきますと、心の中で先生に話しかけていた。
「空白」松本哲也・著 より、あらすじ抜粋させていただきました。
松本哲也 公式HPはコチラ